拒否する心理を防衛機制から理解する|ココカリ心理学コラム

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セラピストの関わりを、クライエントが拒否する臨床場面があります。なぜ、受け入れられないのでしょうか。

拒否する心理

拒否的な反応には必ず理由や意味があります。

例えば、セラピストの言葉使いとクライエントの理解度が噛み合ってない可能性はどうでしょう。学習性無力感が発動されて能動性が枯渇しているかもしれません。うつ病などの気分障害で思考力が低下してないですか。パーソナリティ障害を持っている方は物事の捉え方に偏りがあったりします。

臨床心理学的な解釈を施す場合は、学派によって着目点が変わります。

認知行動療法は「スキーマ(信念、価値観)が脅かされるから」と考えます。スキーマは矛盾を嫌います。人は自分の価値観を揺さぶられるような情報は、基本的には拒否したがる傾向にあります。

精神分析学では「クライエントの精神成熟度がそれに至ってないから」と考えます。正しいことを言われている自覚はあるので、それを受け入れない、もしくは受け入れられない状態は不快となります。不快を不快なままにしておくと不快なので、こころは様々な方略で自我を守ろうとします。それが防衛機制です。

防衛機制

防衛機制とは、不快な感情からこころを守る手段です。心理学者フロイトが提唱しました。拒否に関する防衛機制は、抑圧、合理化、置き換えなどがあります。

抑圧は、不快な衝動や体験が意識されないよう、無意識に閉じ込めることでこころを守ります。例えば、どう考えてもショッキングな出来事だったのに、それを思い出せないことがあります。これはその出来事を直視できないとこころが判断し、抑圧で無意識層に閉じ込めているからです。精神衛生を保つためにこころがうまく働いている証拠でもあります、ただ、抑圧が常習的に行われると、病的な症状、性格特性、人格構造となり、様々な不適応症状として現れることがあります。

合理化は、自分の行動を自分に都合のいい理屈で正当化する防衛機制です。高くて取れない場所にあるブドウを「あんなブドウ、どうせ酸っぱくて食べられない」と思う(イソップ童話「すっぱいブドウ」)ことで、自分のこころが傷つかないように守ります。転職活動の際に、不合格が怖くて、希望度が高い企業に履歴書を送らないようなケースがあります。不合格の怖さを認めず、ここはきっと私には合わないと思うことで、こころを守ります。

置き換えは、ある対象へ向けられている感情を、他の対象へ向け換える防衛機制です。自分自身の問題だと気がついているものの、それを認めると自尊心が傷つくので、他者や周囲のせいにします。平たく言えば、責任転嫁であり、八つ当たりです。例えば親に対して抱いている怒りを、セラピストへ向けるなどがこれにあたります。精神分析学では、トレーニング中に起きる置き換えを、「転移」という文脈で解釈したりします。

拒否に対するセラピストの姿勢

セラピストも人間です。拒否されると嫌な気分になったり、反撃したい気持ちがでてきたりします。それは人として自然な反応なのですが、臨床場面で無邪気に発動させてはセラピスト失格です。クライエントの拒否的な態度の理由や意味に思考を巡らせ、見立てをして、以下の対応がとれるといいでしょう。

「待つ姿勢」

クライエントがそれを受け止められる状態まで待つ、という姿勢です。防衛機制を働かせないと対処できない強烈な葛藤がこころの中で渦巻いている、という解釈です。レディネスという考え方では、人にはできるようになるタイミングがあり、その時期の前にいくら与えても叶えられないとしています。人は変わっていきます。潮目に注意を払いながら、どっしりと待つのです。

「困難さの保証」

クライエントは、今までしたくてもできなかった自己変容を、今やろうとしているのです。とても難しくキツい作業をしているんだという前提に立ちましょう。労う姿勢を忘れてはいけません。

「最初の目標に立ち返る」

カウンセリングであれば初回面談時に「ここで何を成し遂げたいのか」を、クライエント自身の言葉で掲げてもらえるといいです。困難にぶち当たった時は、何のためにこんな大変なことに挑むのか、それは自分が望んだことだ、というところに立ち返ることができるからです。

「説得技法」

時には説得が必要な場面もでてくるでしょう。説得技法である、フットインザドア(段階的要請法)や、ドアインザフェイス(譲歩誘導法)が役に立ちます。

※ ※ ※ ※

クライエントの拒否に対して、大事なことは2つです。まずは、知識や理論で武装しておくということ。想定の範囲内で事が起きている分には、ある種の安心感をもって冷静に対処できるでしょう。もうひとつは、臨床現場では知識や理論を一旦手放し、目の前のクライエントに対してまっさらな状態で対峙するということ。人は千差万別、十人十色。類型論ではなく特性論で臨みたいところです。



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