私がリクルートを辞めて心理屋に転身した経緯|臨床心理士への随録 心理学

臨床心理士への髄録

2018-8-25

年齢を言って「大学院に通う学生です」と自己紹介すると、「会社辞めちゃったんですか」「生活は大丈夫なんですか」「思い切りましたね」「よく奥さんが許してくれましたね笑」などと驚かれます。

もうすぐ24ヶ月の院生生活の1/4が終わります。ここらで改めて、40歳で17年間の会社員キャリアを捨て、心理屋としての道を歩み始めた経緯を、整理しておこうと思います。

会社員としてやってきたこと

大学 社会学部を卒業してから3つの会社を渡り歩きました。アパレル雑貨メーカー、リクルート、ゆこゆこ(在籍当時はリクルートの子会社)です。営業職、エリアマネジャー、商品企画、編集ライター、営業推進やイベント運営などの社内スタッフ業務、経営企画室 人事部での採用・社員研修・メンタルヘルスなど、様々な環境で多彩な仕事に従事させてもらいました。自分で言うのもなんですが、どんな仕事でもそれなりにそつなく遂行できる(裏を返せばポリバレントではあるがスペシャルではない)のが私の持ち味です。会社員としてのキャリアはとても恵まれたものでした。

契機になった出来事は、以下の4つでした。
・産業カウンセラー養成講座に通い始めた
・ジョインしたシニアサッカークラブのチームメイトが多職種だった
・人事部に異動した
・3年間の生活費が蓄えられた

産業カウンセラーに通い始めた

35歳。ゆこゆこでの営業推進3年目に停滞感を覚えました。営業を支援する仕事にやりがいを感じてはいたものの、経験値にあぐらをかいてどこかルーチン化させている自分に気がつきました。刺激を求め、何か新しいことに挑戦しようと思い、条件を考えました。
・三日坊主にならぬよう、興味ある分野のことをやる
・通信講座のようなひとり学習ではなく、複数人で行うスクール
・どうせなら資格みたいに形に残るものがいい

いくつかの候補の中から、産業カウンセラー養成講座の門を叩くことにしました。

実は25歳の時、アパレル雑貨メーカーを退社してリクルートに入社するまでの間に、臨床心理士を目指した大学院受験をしています。今思えばその時の動機は、高校時代から心理学に興味を抱くも大学受験で心理学部に合格できなかった未練を成仏させたるため、あるいは新卒社会人生活を上手くやれなかったことからの逃避行動だったかもしれません。不合格という形でここでも心理学への道は開かず、興味関心だけが残ることになります。

それから10年が経ち、産業カウンセラー養成講座で、人生で初めて、体系だった心理学を学ぶことになりました。傾聴スキルを磨くためのロールプレイや、基礎心理学、産業、臨床などの座学も、全てが面白く感じました。資格試験にも合格し、翌年にはキャリアコンサルタントの資格も取得しました。

シニアサッカークラブの仲間が多職種だった

さて、産業カウンセラー養成講座に通い始めて間もなく、今住んでいる地域のシニアサッカークラブに参加する機会がやってきました。チームメイトの年齢は20代から60代までと幅広く、職業は美容師、バイク屋、土木建築、整体師、俳優、庭師など、手に職を持つ多種多様な方々だったのです。仲が深まり皆の素性が明らかになるにつれ、この環境から問われているような感じを抱きました。「職業人としてのお前の専門性はなんだ?」「お前は何屋だ?」「この先の人生、お前は何を生業として生きていくんだ?」

答えは出ぬまま、心の隅で数年間くすぶり続けることになります。

人事部へ異動し、心理の仕事と出会う

36歳で人事部に異動しました。採用における内定者フォローや社員へのキャリアデザイン研修の実施、衛生委員会での産業医との会合やストレスチェックの運用など、心理に関する仕事に携わる機会が増え、自分はどんな仕事にワクワクするのかが判ってきました。

人事の仕事に没頭するも40歳を目前に控え、ゆこゆこを利用してアクティブに活動するシニアカスタマーや、還暦を過ぎてなお生き生きとサッカーする仲間をみて、私も生涯現役で死ぬまで仕事やスポーツを愉しむ人間でありたい、職業人としての中年期をどう過ごすのか、今の仕事の中や延長上に自分のライフワークはあるのだろうかという想いが、現実味を帯びて再燃してきました。

たどり着いた結論は、「ここから先は、心理の仕事を専門的にやっていきたい」でした。

3年間の生活費が蓄えられた

会社員である限り、部署異動などの諸事情で希望する業務に就き続けられる保証はありません。心理に特化した仕事をするならば、退社して起業する、副業で始める、心理を専門的に扱う会社へ転職するなどの選択肢がありました。どうするか決め手に欠けるなか、いずれにせよ何か一歩踏み出さねば…と強く想うようになり、会社を辞めて一旦リセットするのもありかな、という考えが浮上してきました。

巡り巡って、最後に背中を押してくれたのはお金でした。貯金代わりに買っていた自社株が公開され、また退職金とは別に会社の制度としてあったセカンドキャリア支援金などの状況が揃い、試算すると贅沢をしなければ3年間くらいは生活できそうでした。子ども達も分別が付く年齢に成長しており、妻もパート勤めをしています。家族に構想している将来像を説明し、専門職としてやっていくために今の会社を辞めると相談しました。ありがたいことに「まあ、いいんじゃない」の言葉をもらい、晴れて会社に退職届を提出しました。

臨床心理士への再挑戦

退職して一週間くらいは、大学院への進学よりも、産業カウンセラーとキャリアコンサルタントを掲げての起業や、心理を扱う会社への転職を考えていました。心身を整え、ひと呼吸ついて、人生の尺で今の身の振り方を思案した結果、この先の武器となる心理の専門性を強固にする目的と、あせない臨床心理士への想いから、ラストチャンスと位置付けた、落ちたらシャレにならない崖っぷち大学院受験へと舵を切ることにしたのです。

リクルートではよく、Will – Can – Mustのフレームで仕事やキャリアを考えますが、目先のやれることではなく(Can)、本当にやりたいこと(Will)を選択した形になりました。

今思えば40という年歳は、臨床心理学では「人生の正午」や「中年の危機」といわれ、論語の一節「吾、十五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従えどものりをこえず」にもある通り、社会的役割や身体面での大きな変化期・転換期にあたります。私も例外ではなかったのでしょう。

現時点では、この決断をすることができて本当に良かったと思ってます。

一歩踏み出し、新しい価値を生む

前職で手がけた社員クレドの一節である「一歩踏み出し、新しい価値を生む」というフレーズを、今でもとても気に入っています。

今回の私の一歩は、会社を辞めることでも、大学院に入ることでもなく、自分の想いに正直に行動に移すことでした。希望と不安が混在する中で、決断が間違っていたのではないかと心細くもなることもあります。でもその度に、何年もかけて自分の気持ちを見定め、検討を重ね、それでもやりたいと思ったのだからと言い聞かせました。そうした過程があったからか、動き出してからは「やり遂げる覚悟」と「やれるだろうという楽観的効力感」が、自然と醸成されていたように感じます。

今私は心理屋として一歩踏み出しました。会社員時代の経験はこの先にまた活きてくるはずです。脱サラ心理士として新しい価値を生み出していきます。

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