人道から外れた異常な状況に置かれた時、人のこころはどのような変遷を辿るのか、精神的な自由の偉大さ、などについて、筆者が自身のアウシュビッツでの体験を元に綴っています。人は最後の希望が絶たれた瞬間に、肉体と精神が同時に崩壊します。フランクルは収容所からの解放ではなく、教員として教室で生徒を前に教鞭を執るという、その先にある心躍る希望を抱くことで、絶望から距離をとりました。目標は具体的にスモールステップで立て、細かく達成感を感じながら進める方がいいけれど、絶望的な場面では妄想的な希望のほうが優れている。そんなことを感じました。自分の現状に不満を感じている方、幸福とは何かわからない方に読んでいただきたいです。
「夜と霧」ヴィクトール・E・フランクル著
殴られる肉体的苦痛は深刻ではない。心の痛みによって人はとことん苦しむのだ。
ユーモアは自分を見失わないための魂の武器だ。周囲から距離をとり、状況にうちひしがれないために人間という存在にそなわっているなにかだ。
苦悩という情動は、それについて明晰判明に表象したとたん、苦悩であることをやめる。
なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える。
この世にはふたつの人間の種族しかいない、まともな人間と、まともではない人間だ。