総合カンファレンスという、院生が担当しているケースの報告検討会を毎週行っています。

報告を聴いて、私はそこに流れる文脈からAと感じました。隣席の先輩はBと解釈したとのこと。ある先生はCという巡り合わせに想いを馳せ、別の先生はDの力動が働いているようだとおっしゃいました。

そう、人それぞれに着目点や捉え方が違うのです。そして私は、他のみなさんの方が筋の良い捉え方をしていると、焦りにも似た悔しさを感じました。だけどよくよく考えると、これらは全て想像の域を脱しない話。クライエントの真実とは違った連想事。ゼロ/100で言えば、全員がゼロなのです。

人は自分の準拠枠から外れた解釈はできません。検討会後、どうにも自分の浅はかさや偏りが歯がゆくて、先生に「自分の枠組みを広げるために、ケース検討で自分が感じたことを客観視点から感じること、他者の視点を丁寧に聴くこと以外に何かできることありますか」と質問すると、「あとは、自分の視点を認めて、愛してあげること」と見抜かれたような助言を頂きました。ない資源を手に入れることも大事だけど、今ある資源から目を逸らさないことも大事、ということなのでしょう。

報告検討会の意味は、全員がそれぞれの解釈を出し合い、ケースを担当しているセラピストがそれを感受し、これ以降も続く心理面接を通じてクライエントの心理的苦悩が軽減され、より適応的な生活を営めるようになることにあります。私の偏った拙い解釈も、間違いなくクライエントの利益に繋がっているのです。


cocoro no cacari|大塚紀廣

1976年千葉県生まれ。大学卒業後、第二新卒で(株)リクルートに入社、国内旅行情報じゃらんを担当した。その後同グループであった(株)ゆこゆこへ籍を移し、人事部で人材採用、社員研修の企画運営、ストレスチェック実行者等を担当した。40歳で退社し、臨床心理学大学院へ進学。修了後は東京大学医学部付属病院老年病科、都内のメンタルクリニック等で心理士業務に就き、現在に至る。専門は高齢者臨床と産業心理。趣味はロードバイク、サッカー、ジェフ千葉、漫画、温泉など。