「言葉使い」について考えさせられる機会が増えました。会社員時代も、プレゼン資料は「言葉を揃える」「みんなが理解できる言葉を選ぶ」など気をつけてはいましたが、最近のは質が違うんです。例えば漢字ひらがな問題。
差別が想起されるから漢字をひらがな表記にする、という。
例として「子供」「子ども」。「供」は目下の者や捧げものといったニュアンスがあるのでこの字を使うべきではない、という主張があります。わからなくもないです。一方で、「子供」という漢字を見て気分を害する子供はいない、という主張もあります。子ども本人が問題点を理解できていないからじゃないかとも思いますが、こちらの言い分もわからなくはないです。
日本語の基本的なルールとして、「漢字の単語は漢字で書く」というものがあるようです。であれば、漢字を勝手にひらがなにしてしまう混ぜ書きはルール違反となります。ただ、日本語のルールなんて法律で定められているものではなく、時代とともに変化していくものです。
「兄弟」「きょうだい」。これは「姉と弟のキョウダイも「兄弟」と表記するなら女は存在しないってことか」というジェンダー的主張です。ひらがなにするくらいなら「兄弟姉妹」って書けばいいのでは、男が先で女が後が嫌なら「姉妹兄弟」でもいいじゃん、でも順序にこだわる時点で性差別なのでは、とも思ってしまいます。
「障碍」「障害」「障がい」。当初は「碍」や「害」が使われていたしょうがいの字は、昭和21年の当用漢字表で「碍」が使えなくなったことにより、「害」の字が使われるようになりました。「害」には「傷つける、邪魔する、損なう、災い」の意味があり、「碍」は「大きな石を前に人が思案し悩んでいる状態」を意味します。漢字でもひらがなでも「ショウガイ」って音の響きでもうイメージがそっちにいっちゃうのは私だけでしょうか。
言葉そのものを変えた事例もあります。「痴呆」「痴ほう」から「認知症」へ。「痴呆」という言葉を国語辞典で調べると、「愚か、ぼんやり」などの意味が示されます。さらに、「愚か」という言葉を調べると、「頭の働きが鈍い、未熟である、劣っている」などの意味が記されています。侮辱的な表現は患者や家族の感情を傷つけ、痴呆=恥ずかしい病気との認識を生じてしまい、早期の受診や発見の妨げになると考えられます。厚生労働省は、痴呆に代わる用語に関する検討会を設け、平成16年に呼称変更の採択をしました。あくまでも行政用語の変更であり、医学用語・法律用語は従来のままですが、現在、日本医師会では「認知症」という呼び名で病名を統一するようになっています。(参考:教えて認知症予防)
誰のための言葉なのか。そして私は今、誰を対象として言葉を使っているのか。正誤ではなく配慮の問題なんです。このセンスを身に付けるには、日常から意識すること、自問を繰り返すこと、これしか方法がありません。言葉選びには「自分の中での明快な基準」と「責任感」が必要だと感じています。