ノーマライゼーション」という言葉を初めて聞いたのは20代前半だったでしょうか。当時は「障害者を見てギョッとしないこと」だと超訳誤認していました。最近は理解が深まり「障害をもつ人もそうでない人も、それぞれがそれぞれに幸せを感じられる(または負を感じない)社会を実現する考え方」と理解しています。

違いを認めつつも正常異常の二分法で判別しない。例えば自閉症はDSM-5から自閉スペクトラム症と名称変更されています。白黒ではなく濃淡で考え、良悪ではなく傾向として認識し、ひとくくりではなく唯一無二の個性として捉える。社会全体がそういう認識をもてるよう、微力ながら貢献していくつもりです。

「ぼくらの中の発達障害」青木省三著

Q.心の病気と健康の境目って、はっきりとあるのですか
A.はっきりとした境目はなく、僕や君の中には『弱めの症状』が、患者さんと呼ばれる人の中には『強めの症状』があると考えている

発達障害を持つ人たちは、連続性と異質性という二つの視点から捉えた時、はじめて理解が可能なのではないかと思う。すなわち、自分の内にある発達障害に気がつくことと、発達障害を持つ人の文化を、自文化と対等な異なった文化として敬意を持って理解しようとすることとの、両者が求められている

虐待している人の中の世界は、疲労の蓄積、経済的に不利な条件、支えてくれる人や相談する人の不在、などの孤独でゆとりのない世界であることが多い。そのような状況に自分が置かれた時、自分も虐待してしまう可能性があるのではないか。虐待する可能性は僕らの中にもあるという視点に立って初めて、支援は血の通ったものになる

古くより「以心伝心」「阿吽の呼吸」などという言葉があるように、わが国は言葉以外のコミュニケーションが豊かな国だ。

コミュニケーション能力が乏しくなったのではなく、時代の中でコミュニケーション能力がより求められるようになった。

一人の人を理解するには、その人の日常生活において、一瞬、輝いているものを具体的にキャッチすることが大切である。


cocoro no cacari|大塚紀廣

1976年千葉県生まれ。大学卒業後、第二新卒で(株)リクルートに入社、国内旅行情報じゃらんを担当した。その後同グループであった(株)ゆこゆこへ籍を移し、人事部で人材採用、社員研修の企画運営、ストレスチェック実行者等を担当した。40歳で退社し、臨床心理学大学院へ進学。修了後は東京大学医学部付属病院老年病科、都内のメンタルクリニック等で心理士業務に就き、現在に至る。専門は高齢者臨床と産業心理。趣味はロードバイク、サッカー、ジェフ千葉、漫画、温泉など。