歳をとると体力は落ちるし物覚えは悪くなるし嫌になることもあるのですが、慈愛の精神が育ってきたり色んなことに振り回されることが減ったりと良いこともあるんですよ。私はこの先、自己肯定感を持ちつつ、過去の成功体験を捨て去り、若い人から謙虚に学び続けられる人間でありたいです。

「禅的老い方」境野勝悟著

若い人が自信と誇りを持つと、そこに必ずやわらかな笑顔が見える。喜びにあふれた言葉が生まれる。が、年が寄ってから妙に自信と誇りを持つと、とたんに笑顔がなくなる。表情が硬くなる。そして、言葉がぶっきらぼうになる。相手の気持ちがまったくわからず、一方的に自分の意見だけをまくしたてるようになる。うっかりすると、お説教と暴言しか発言しなくなる。若い人にはなぜやわらかな表情と明るい言葉があるのか。それはひとえに人を愛する力があるからだ。年が寄ってくるにしたがって、暗い表情になって笑顔がなくなり、言葉が少なくぶつぶつとお説教か暴言をもたらすのは、体の中の「人を愛する」いのちの働きが薄くなるからである。年が寄ってきたらまず「人を愛する力」を、修練して磨きあげないといけない。

老いたらまず、自尊心と頑固を捨てる。過去の価値や功績をあっさり捨てる。努力して得たものを捨てる。それが禅的老い方の要点だ。もっとも恐ろしいのは、自分のことしか考えられない「エゴ」の地獄に落ちていくことだ。

若い人と手を取り合えば、老人も若返る。心が豊かになる。うれしくなる。楽しくなる。嬉々として老いの生きがいの輝く最高峰に登るのだ。

その時、その場に応じて、人の心は変わる。無常が仏(宇宙の生命)の在り方だ。禅の心である。坐禅をしてなにを悟るのか。それは、天地同根、万物一体、ということではなかったか。

「変わってもいい」し、「変わらなくてもいい」

禅の生き方、禅の老い方は、「良い生き方」でも「悪い生き方」でもない。ただ、自分が生きている「いのち」の値打ちをしっかりつかむ生き方でしかない。


cocoro no cacari|大塚紀廣

1976年千葉県生まれ。大学卒業後、第二新卒で(株)リクルートに入社、国内旅行情報じゃらんを担当した。その後同グループであった(株)ゆこゆこへ籍を移し、人事部で人材採用、社員研修の企画運営、ストレスチェック実行者等を担当した。40歳で退社し、臨床心理学大学院へ進学。修了後は東京大学医学部付属病院老年病科、都内のメンタルクリニック等で心理士業務に就き、現在に至る。専門は高齢者臨床と産業心理。趣味はロードバイク、サッカー、ジェフ千葉、漫画、温泉など。