あなたは今どのような死生観をもっていますか。余命宣告を受けたがん患者さん達の死を前提とした終末期の生(せい)を通じて、ターミナルケアや在宅医療の在り方、クオリティオブライフなどについて考えさせられます。修士論文研究のテーマを、老成自覚×死への態度×健康度×中年期に定めたので、参考図書として手に取りました。この本に出会うまでは、自分の死因は痛みや苦しみのない突然死がいいと思っていましたが、死ぬ準備期間が自分にも周囲にも与えられるがんも悪くないという気持ちになりました。人生の結び方を自主デザインする時代がきています。

「死の医学」への日記 柳田邦男著

長い人生において、誰しも受け入れ難いことに遭遇するときがある。真正面から立ち向かい、頑張ろうとしても、乗り越えられないときもある。そんなときは、「こうあらねばならない」というタテマエを取りのけて、あるがままの自分を受容しないと、挫折してしまう。涙というのは、頑張りをはずし、無理のない自然な自分を再生させる、そんなエネルギーを持つものなのかもしれない。

生きることは すばらしい 死ぬことも また すばらしく ありたい

ヒトはまことにパンのみによって生きていない

かつて家で死を迎えるのがあたりまえだった時代には、おとなも子供も肉親の死を日常生活のゆるやかな時間の流れと空間のなかで経験し、それを人間の自然な営みとして受け容れていた。しかし、ガン死の増加に伴い、1960年代頃から、病院で最期を迎えるいわゆる病院死を余儀なくされる人々が年々増えて、1977年には行病院死が在宅死を上まわり、今や日本人の大部分は病院で死ぬ時代になってしまった。とりわけガンの患者は90パーセント以上が病院死になっている。その結果、人々は死というものを非日常な空間に隔離し、生・老・病・死という人間の一生の営みを家のなかで起こるひとつながりのものとして、幼少期から自然に学んでいくという機会を失ってしまった。


cocoro no cacari|大塚紀廣

1976年千葉県生まれ。大学卒業後、第二新卒で(株)リクルートに入社、国内旅行情報じゃらんを担当した。その後同グループであった(株)ゆこゆこへ籍を移し、人事部で人材採用、社員研修の企画運営、ストレスチェック実行者等を担当した。40歳で退社し、臨床心理学大学院へ進学。修了後は東京大学医学部付属病院老年病科、都内のメンタルクリニック等で心理士業務に就き、現在に至る。専門は高齢者臨床と産業心理。趣味はロードバイク、サッカー、ジェフ千葉、漫画、温泉など。