講義で紹介された動画はこちらである。アニメーションでテンポよく展開してわかりやすいのだが、コンパクトゆえに中毒や依存の知識がある人にとってはいささか飛躍を覚えるかもしれない。
時間があれば以下も確認してほしい。元になっている講演なので、結論までのスルーラインはこちらのほうが丁寧だ。
「依存症」―間違いだらけの常識コカインからスマートフォンまで―「依存症」を引き起こすものとは一体何でしょう?どうしたら依存症を克服できるのでしょう?現在www.ted.com
中毒の反対は正常ではない、繋がりだ。
キーワードは多幸感。人との繋がりを感じられる生活をしていれば、薬物には手を出さないし中毒になることはない。すなわち、中毒とは満たされない孤独を埋めるための代償行為であると言う。
ここで、日常会話では同じような意味で使われる乱用/依存/中毒という言葉について整理しておきたい。臨床場面ではそれぞれに明確な定義がある。乱用とは社会から外れた使い方。急性中毒とは乱用の結果の状態。依存とは乱用を繰り返してやめられない状態になること。慢性中毒は症状が固定してしまった状態、である。
依存状態になると、薬物そのものを楽しむというよりむしろ、それを必要としている状態に陥いる。もう自身でコントロールすることが不可能になる。つまり、それが本人をコントロールし、本人は生活を棒に振ってもやらざるを得ないと感じるようになる。
話を戻そう。
満たされない孤独は誰もが持ち合わせている。孤独が日常生活を困難にするか否かは認知の仕方に決定される。適応的な人は、人生で価値あるものは両価性を孕んでいる(孤独にも価値がある)と知っているし、不快な感情は追い払っても別感情で上塗りしても消えることはないと知っている。
あるがままに受け止める姿勢が必要なのだろう。
ぽっかり空いた心の隙間に薬物が侵襲して依存が形成される。孤独を繋がりで無理に埋める必要はない。空いていることを悲嘆も焦燥も怒りもなく「ただ空いている」とあるがままに認知していれば、その空洞は埋めるべきものではなく、空洞のままで抱えることができる。薬物が入り込んでくる隙間はない。
こうした姿勢は仏教で言えば悟りであるが、心理学では認知行動療法や森田療法で獲得することができる。安心してほしい。我々は神や仏ではない一般人だが、習得できるのだ。
薬物は割に合わない。一過的な多幸感は得られるかもしれないが、リスクがでかい。身体負荷、社会的信用、周囲の人へ与える迷惑、そして一度形成された快感回路は完全消失できない。これが再犯率を高める。もし、あなたの中の心の空洞が自分で対処できないくらい大きくなったなら、薬物の前に、病院や心理相談室から手をつけるべきだ。
参考文献として紹介された「快感回路」デイヴィッド・J・リンデン著を読んでいる。印象的な冒頭の一節で締めたいと思う。
「人間にとって、快楽はまっとうに得られるものではない。天から貸し出されるのだ。非常な高利で。」ジョン・ドライデン『オイディプス』より