前頭葉が専門の精神科医の教授から、この一年間で、神経生理学・精神薬理学・精神障害神経学の講義を受けてきました。ゼミの先生からは「あの高名な教授から直接指導してもらうなんて贅沢だね」と羨ましがられます。生徒等からすると、なぜかいつも例えにあんぱんを持ち出す(どうやらパン好きらしい)、魔法使い的風貌のおじいちゃんという印象で、威張らず謙虚な姿勢が素敵だよねと話しています。
教授の言葉はどれもどこか謎めいていて、私の思考回路に根掛かりします。
「『生物の世界』は僕の大好きな本なので、機会があれば読んでみて。」
とおっしゃるので紐解いてみたら、なるほど理解しました。著者の今西錦司氏は生物学者でありながらの哲学者と評される方で、この本は自前の理論をなるべく平易な言葉で、可能な限り正確に言い表そうとする意欲作でした。先生が紡ぐ経験と考察に裏付けられた理論と言葉の世界観が似ています。ああそうか、先生も精神科医でありながら哲学者なんだな、と。
以下、講義中に書き留めた先生のお言葉です。心理学を精神医学から見考するときに、私の基底となるものです。
「画像診断のような科学も大切だけど、画像に写らない患者の主観的な話もまたその人の真実なわけで、非科学的=ネガティブではない。科学からみたらそうなもかもしれないけど、科学だけがすべてじゃない。」
「心理学やっていると、世の中全てを心理学で語りたくなる、語れるんじゃないかと思うようになるんだけど、それは錯覚であり傲慢だよ。」
「精神障害ってのは自極から物事までの距離が崩れちゃう病気。その人の中の物差しが変わっちゃうんだ。」
「妄想ってのは内と自、患者は思うとか浮かぶって言う。幻覚は外と他、みえるとか聞こえるって言うんだよ。構造からして明らかに別物。」
「人間ってのは、自分は変わらないという原則に立っている。外側が変わったと感じる。」
「こころといい脳といっても、見方や方法論の違いであって、どちらが正しいということではなく、またどちらか一方に還元しうるものでもない。」
「老賢者」という言葉が、講義の度に、私の脳裏に思い浮かんでいました。老賢者とは、ユング心理学における元型のひとつで、無意識下にある父なるもの・権威・理論・秩序を表す偉大な存在であり、男性にとっての成長的最終地点のような存在といわれるものです。私も素敵に歳を重ね、キャリアを描いていきたいです。