アルコール依存症について書こうとPCを開いたのだが、投稿コンテスト「 #あの夏に乾杯 」を見てエントリーしたくなったため、お酒にまつわる楽しかった体験談を交えつつ、強引に繋げてみようと思う。

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私はお酒が好きだ。ただし量は飲めない。口を付けるとすぐに顔が紅らみ、3杯も飲めば間も無く限界が訪れる。私のアルコール免疫は生得的に低く、20代は缶ビール一本も空けられない程。だから酒宴の席で心配されることはあっても、無理やり飲まされることはなかった。最近はビールとワインをよく飲む。ワインは美味しく、体質的に合っているのか、翌日に残らない。

あの夏に乾杯

このテーマを見てパッと脳裏に浮かんだのは、1998年2月、仲間と語り合った豪州ブリスベンのPUBでの光景だ。

当時私は大学2年生。資金繰りから申し込みまで全て自分で手配した一ヶ月間の語学留学。ホームステイをしながら日中は語学学校で勉強し、週末は家族やクラスメイトと観光や旅行に出かける。初めての海外異文化体験はとても楽しかった。

月〜金で通う学校は15時には終了する。家に帰るまでの2時間弱は、仲間とPUBで過ごすことが多かった。ビールはオーストラリアでは定番のXXXX(これで「フォーエックス」と読む)をワンパウンドでオーダーする。毎回必ずサイドディッシュに頼むのが「フライドポテトwithホワイトマッシュルームソース」で、こいつがとにかく旨い。カロリーの化け物だと判っていても病み付きになる。

異国の環境により自分へのとらわれが薄れた状態で、国籍・年齢・価値観の違う多様な仲間と触れ合えたこの時間が、私の人生を広げてくれた。特別な夏だった。

お酒との距離感

当たり前の話だが、お酒を飲むと酔っ払う。アルコールは脳の働きを鈍麻させ、気分の高揚やリラックス効果を生み出す。物質摂取で気分が良くなるという意味では、大麻や覚せい剤などの違法薬物と同じである。お酒は合法でコンビニで気軽に買えるため、付き合い方には注意が必要だ。

適量は元気とコミュニケーションの潤滑油となり、過度の摂取は心身の健康阻害をもたらす。適量と過量はスペクトラムの両端であり、閾値は確実に存在するが人それぞれ違うため、自分も他者からも見分けがつきにくい。お酒は薬であり毒でもあることを忘れてはいけない。

アルコール依存症と予防

毒の側面が行き過ぎると、急性アルコール中毒、肝硬変、高血圧などの危険が高まる。臨床心理が扱う分野だと、アルコール依存症がある。

依存症とは、その行為によって本人または周囲の人が困難を感じている状態、または本人がその行為を後悔している状態のことをいう。生活するのに支障が出ていると感じたら、半歩以上、依存症に突入していると考えていいだろう。

恒常的に日々適量のお酒を嗜んでいる人が、ストレスの対処法として過剰に飲んで(いわゆるやけ酒)一時的な現実逃避をする。これが繰り返されることで、アルコール依存症が始まることが多い。

飲んでも問題は解決しない。飲んでいる瞬間はつらさが薄らぐかもしれないが、むしろ飲んだ方がかえって問題は大きくなる。だって、翌日の二日酔い、思考鈍化、だるさ、睡眠不足など、お酒の毒要素は多かれ少なかれ皆経験済みだろう。断言するが、依存行為でストレスが減るということはない。

治療法としては、問題に対して真正面から向き合う意思をもつ、お酒を手元から一切排除する物理的隔離、飲みたくなっても先延ばしするなど、認知と行動を記録表などを使ってコントロールしていくのだが、完治または寛解までにとても時間がかかる。ストレスのはけ口としてお酒を選ぶのは、割に合わない。

重大な問題飲酒者は全国で330万人といわれている。けっこう多い。最近では、女性(キッチン・ドリンカーなど)、未成年者、高齢者も増加傾向という。

お酒を仲間と飲めば同じ釜の飯を食った気持ちになり、凝集性が高まり絆が深まる。人付き合いのツールとしての有用性が好きだ。お酒とはこれからも程よく、適度な距離感で付き合っていきたいと考えている。


cocoro no cacari|大塚紀廣

1976年千葉県生まれ。大学卒業後、第二新卒で(株)リクルートに入社、国内旅行情報じゃらんを担当した。その後同グループであった(株)ゆこゆこへ籍を移し、人事部で人材採用、社員研修の企画運営、ストレスチェック実行者等を担当した。40歳で退社し、臨床心理学大学院へ進学。修了後は東京大学医学部付属病院老年病科、都内のメンタルクリニック等で心理士業務に就き、現在に至る。専門は高齢者臨床と産業心理。趣味はロードバイク、サッカー、ジェフ千葉、漫画、温泉など。