軽めに綴ったつもりなのですが、いかんせんテーマが重いため、読み進んで苦しくなったら、深刻になる前に離脱してください。

これは、がんプロ実習の下調べに手にした本に記されていた、白血病との闘病の末に逝去された女子高生の手紙です。17歳が書く文章でしょうか。衝撃的です。今でも読むたびにこころが震えます。

「これが私の出す最後の手紙であるかもしれないのに、本当に何を書いたらいいのかわからない。今生の別れの言葉は何がいいのか思いつきやしない。私はもう一度生きたい。病気を克服してもう一度生きたかった。

ありがとう。

私のために泣き、苦しみ、疲れ、身を捧げんとしてくれた人たちへ。

人間は誰かの役に立ちたい、救ってあげたい、また、誰かの何かのために死にたいと理想をもつ。自分の生が、死が意味あるものでありたいと思う。
少なくとも私にとってあなたがたの生は意味あるものであるだけではなく、なくてはならないものとして存在している。

あなたがたは、勇気ある強い人間だ。あなたは人を救ったんだという満足感と自信に満ちあふれて生きていって欲しい。あなたは私にとってなくてはならない人です。そう思って、あなたに心から感謝と尊敬をしている人がいることを忘れないで欲しい」

(「死ぬときに後悔すること25」大津秀一著より)

彼女は近く来る死を受け入れつつも、未練たっぷり最後まで生にすがりつきます。おそらく自らの運命に絶望し、混乱し、自暴自棄にもなったでしょう。その末に辿り着いた境地は、やっぱり生きたいよ、と。文章の表面は清々しいですが、奥底に漂う強いエネルギーを感じます。

彼女の生きたいという願望を叶えてあげられなかった周囲の人たちは、さぞかし自分の無力を責めたでしょう。しかし彼女は許し、自分に掛けてくれた言葉や想い、援助行為を労い、讃え、それが如何に価値あることだったかを証明してみせました。彼女の心からの言葉に、救われた人は多いはず。

※ ※ ※

対人支援職って、面と向かって感謝の意を表される機会が少ないんですよね。

メンタルクリニックでの心理カウンセリングは予定調和で終結するケースは稀で、クライエントが来室しなくなり終結というパターンが多い。ポジティブな理由で来なくなったのか、はたまた違うのかは永久に聞けない。柔軟な認知の幅と充分な自己承認スキルを身につけておかないと続かない仕事です。自分は人の役に立てているのだろうかという疑問符はいつも持っています。

私はこの手紙から勇気をもらいました。自分がやっていることは、何かしらの価値があるはずだから、今は自分がやれることを精一杯にやろうと。

生きたくても生きることが叶わなかった人がいる事実と、援助行為を価値あることだと認めてくれる人がいる事実を胸に刻みながら、今この瞬間を丁寧に大切に営んでいくことを、この手紙に誓うのでした。


cocoro no cacari|大塚紀廣

1976年千葉県生まれ。大学卒業後、第二新卒で(株)リクルートに入社、国内旅行情報じゃらんを担当した。その後同グループであった(株)ゆこゆこへ籍を移し、人事部で人材採用、社員研修の企画運営、ストレスチェック実行者等を担当した。40歳で退社し、臨床心理学大学院へ進学。修了後は東京大学医学部付属病院老年病科、都内のメンタルクリニック等で心理士業務に就き、現在に至る。専門は高齢者臨床と産業心理。趣味はロードバイク、サッカー、ジェフ千葉、漫画、温泉など。