心理学における服従とは、権威者など他者からの要求に対して強い抵抗を示すことなく従う行動を指します。アイヒマン実験は、社会心理学者ミルグラムが、服従という行動を釈明するために行った実験です。結果もさることながら、倫理観が問われた実験として有名です。

アイヒマンは独ナチスで、ユダヤ人を収容所へ送る責任者でした。彼を含むナチス戦犯たちは、そもそも特殊な人物だったのでしょうか?それとも一般市民であっても一定の条件下では、誰でもあのような残虐行為を犯すものなのか?実験はアイヒマン裁判(1961年)の翌年に、この疑問を検証するために行われました。

被験者(現代では研究協力者と呼ぶのが一般的)には、事前に契約書が用意されました。そこには、実験中に続行の意思を失った場合は自発的に止めていい事、意にそぐわない場合は研究者の指示を断ってもいい事、放棄しても報酬は支払われる事などが明記されていました。

実験には「体罰と学習効果の測定」という嘘の実験名が施されました。被験者は互いに面識のない二人がひと組となり、ひとりが問題を出し(出題者)、もうひとりが回答します(回答者)。回答者には事前に実験の全容が知らされました。

それぞれ別室に通されます。両者の部屋はつながっていて、互いの姿は見えないものの、声は聞こえます。出題者の部屋には30個のスイッチがついた装置が置かれています。スイッチにはボルト数が書かれており、いちばん左端が15V、そして15Vずつ増加していき、いちばん右端は450Vです。ボルト数が人体にどのような影響をもたらすかについて、出題者は事前に説明を受けました。

出題者は白衣を纏った教官から、隣室の回答者が間違うたびにスイッチを押して、より強い電気ショック(体罰)を回答者に与えることを指示されます。

実験が始まると、回答者は一問目から連続して間違えます。電気ショックによるうめき声はやがて絶叫(実際には電気は流れていないので声の演技です)となり、20段階目の電気ショックを送ると、回答者は悲鳴も声も出さなくなります。それでも教官は「大丈夫です。研究なので続けてください」と指示をします。

実験の結果、約65%の出題者が、命の危険がある450Vの電気ショックを与えました。ミルグラムはこの実験をさまざまな状況で行いましたが、61~66%の範囲の人たちが致死の電気ショックを与えることが判明しました。

出題者は実験の続行を拒否したり、教官の指示に従わない権利があったにも関わらず、教官の指示に従いました。悲鳴をあげたり、やめろと叫ぶ初対面の他者に対して電気ショックを与え続けるなんて、一般常識また倫理的には考えられない反社会的な行動です。しかも電気ショックを与え続けても、出題者にとって得することは何もないのです。人間とはそもそも権威者の指示がある場合には「一般常識」や「良心」よりも「指示に従うこと」が優先されやすいのです。

家庭内における児童虐待で、片方の親が権威者でもう片方の親が服従者である構図があります。法の元では加虐者は罰っせられるべきですが、心理の元では擁護する部分がある場合があります。なんとも複雑で難しい問題ですね。

アイヒマン実験は、心理学の研究倫理に大きな議論を巻き起こしました。出題者が実験中のストレスによって傷つき、実際に訴訟にまで発展したのです。出題者には実験後に、回答者の無事も、実験の本当の目的も伝えられましたが(デブリーフィング)、被験者に苦痛を背負わせることは許されることではありません。やはり基本は、事前の開示(インフォームド・コンセント)なのです。以降、心理学研究には多くの倫理的規制が設けられるようになりました。

大義のために我慢する美学もありますが、我慢していいことと悪いことを見極める目、筋の悪い道に進みかけた時は自ら下りる勇気を養いたいです。

【参考】
https://ja.wikipedia.org/wiki/ミルグラム実験
https://psych.or.jp/interest/mm-01/
河合塾KALS 大学院入試対策講座テキスト


cocoro no cacari|大塚紀廣

1976年千葉県生まれ。大学卒業後、第二新卒で(株)リクルートに入社、国内旅行情報じゃらんを担当した。その後同グループであった(株)ゆこゆこへ籍を移し、人事部で人材採用、社員研修の企画運営、ストレスチェック実行者等を担当した。40歳で退社し、臨床心理学大学院へ進学。修了後は東京大学医学部付属病院老年病科、都内のメンタルクリニック等で心理士業務に就き、現在に至る。専門は高齢者臨床と産業心理。趣味はロードバイク、サッカー、ジェフ千葉、漫画、温泉など。