専門家としてフルタイムで臨床の仕事に就くのは今回が初めて。出来ないことが多すぎて凹んだり、やれることを着実にやろうと言い聞かせたり、まるで社会人一年目のような情緒の振り幅の大きい毎日を過ごしています。
職場の年下の先輩は、成熟・芳潤・円やかなパフュームを内に持つ、臨床心理士歴10年のベテランさん。この間、心理検査に陪席させてもらったらマジで凄かった。事前情報から見立てた検査を行うなかで、その結果や患者さんの反応をみて、瞬時にテストバッテリーを組み直していくという離れ業をナチュラルにこなしていた。
私もこの域に辿り着きたい。おこがましくも今年を含めた三年間で。だって40を超えてる年齢的ハンデもある訳だし。
「どうやってそのレベルまで到達したのですか?」と質問したら「努力したのよ」とおっしゃった。うんそうだ、努力だ。結局、努力だよ。人より練習しない奴が人より上手くなった例はないって、偉人さんが言ってたな。
どう努力するか
まずは、専念すること。半年間やってきてわかったのは、高齢者領域は一生やっても飽きないだろうということ。そこには絶対的な信頼感がある。今年は試験や全般領域の技術向上という目標が邪魔をして一点集中できていないが、二年目の来年は働く環境をもう少し整理するつもり。高齢者領域の専門性を鋭くする。
そして、量をこなすこと。質は大切だけど、量の後に質がくるべきだ。ただし、質を意識しながら量をこなせば成長角度は上がる。中年の私にはそれをやれる経験値の利がある。先輩やスーパーヴァイザーに指導を仰ぎ、正しいフォームで理論と実践を繰り返す。質を意識した量を、やるしかない。
強みと課題
先日の指導の場で、「あなたは察し過ぎる人かもしれません。言葉で相手に尋ねないと」「準備段階でどれだけ仮説を出せておけるか。ある意味で、検査の時間は答え合わせ」「検査目的と主訴の確認。これが出発点。目的がないと、終着迷子になっちゃいます」などの助言を頂いた。すべてが金言。
リクルートでも、ゆこゆこでも、入社すぐに同じような指摘をもらったことを思い出した。繰り返す、ポリリズムくらい繰り返している。察する力は、相手の間合いに無闇に入り込まない安心感に繋がるが、分かった気になって気持ちがずれていく悪癖にも成り得る。大切にする能力でもあり、変えていく部分でもある。
「若い時の苦労は買ってでもせよ」は正しい。必要だと感じられる苦労は財産になる。自分の年齢は若くはないけど、若輩者である今がまさに苦労するとき。