自立とは|ココカリ心理学コラム

ココカリ心理学コラム

「ジリツ」には、自分で律する「自律」と、自分で立つ「自立」がある。どちらも心理臨床の現場でよく登場する言葉であるが、今日は後者のお話。

自立を辞書で引くと「他への従属から離れて独り立ちすること。支えるものがなく、そのものだけで立っていること」とある。

東山(2002)は著書の中で、自立には4つの領域があると述べている。すなわち、身辺自立、精神的自立、社会的自立、経済的自立である。後者2つの社会的自立と経済的自立は、学生生活が終わり社会人を経験しながら身につけていく自立である。

取り上げたいのは、身辺自立と精神的自立である。身辺自立とは、自分のペースで日常生活が送れることを意味する。これは精神的自立と相関があるように思う。精神的自立は、エリクソンの心理社会的発達理論(ライフサイクル論)と連結させると理解しやすい。アイデンティティとの関係性が強いと思う。

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「心理学 第3版」鹿取廣人ら編,2010(東京大学出版会) 

ヒトは乳児期から発達課題が与えられており、この困難にどう対応していくかで精神的自立を獲得していく。とりわけ青年期におけるアイデンティティ探求は重要だと言われる。迷い、混乱の中で、自分は何者で、どのように生きるかという問いに対し、肯定的に回答できる状態を目指している。

私個人の経験で言うと、青年期は精神的に混乱を極めた。20歳のオーストラリア留学を機に濃霧は少し薄くなったものの、明確にアイデンティティが確立したとは言えなかった。当時の私が偉かったのは、不確立な中でも、悩むことと足を動かすことを止めなかったことだ。やがて「こんな自分でも仕方ないか」という自己受容に至り、私のアイデンティティ課題は終了した。水は止まると濁ったままである、流れていることが重要なのだ。

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精神的自立は、マズローの欲求階層理論とも関係付けられそうだ。欲求が満たされ、精神的に安定感が増すことで、自立に近づいていくと考えられる。

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「臨床心理士指定大学院対策 心理学編」河合塾KALS監修 宮川純著(2014)

自立は他者ありきで成立する。こう表現すると言葉の定義から外れそうに思うが、他者を受け入れないとただの孤立になる。自立とは、何でもかんでも自分一人で行うことと同義ではない。現に欲求を満たすのは、他者の存在なしには不可能である。人間は弱い生き物なので集団で協力し合いながら生きている。他者との関わりの中でそのつながりを上手に活用する、つまり頼り切らない姿勢だったり、極端な依存をしないことができて初めて自立しているといえるのだ。

自立とは、私という価値を自ら決定することである。さて、私は自立できているのだろうか。



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