日本は生き辛い国なのだろうか。
毎年春に国連が発表する「世界幸福度ランキング」で、3年連続首位に輝いたのはフィンランドだ。極寒の冬とか不幸そうだけどな…という私の浅はかな初感を打ち消す、小国ゆえの葛藤から生まれた独自の生き残り戦略が素晴らしい。
なぜフィンランドは「世界幸福度報告書」で3年連続首位に輝いたのか? 気鋭の哲学者が明かした、国の成り立ちと「幸福度」の関係性毎年春に国連が発表する「世界幸福度報告書(World Happiness Report)」の2020年版世界幸福度ランキンwired.jp
記事を読んでフィンランドには、心理学者マズローが唱えた「欲求階層理論」に基づいた社会があると感じた。①生理的欲求②安全の欲求は、高い教育水準や生活基盤の保証などの社会制度で担保し、③所属と愛情の欲求④尊厳の欲求は、国民全員が我が事として参加する政治活動で充足させる。欠乏欲求は国が担うから、⑤自己実現は自己決定してくれという姿勢で一貫しているのがいい。自己決定理論…自分で選択した人生は他人のせいにはできないからね。
翻って日本の幸福度はどうだろう。以下のレポートでは、他者に対する寛容性の低さが課題であると指摘されている。
世界幸福度調査World Happiness Report2020概要と関連質問紙提供について – RIOMH 産業精神保健研究機構(Research Institute of Occupational Mental Health)The HTML5 Heraldriomh.umin.jp
日本は四方を海に閉ざされた島国、単一民族国家であり、自分達と違う様相や価値観などに対する耐性が極めて低い。実現しようとしている多様化社会とは、とても相性が悪い国民性だと思う。2020東京オリンピックで、他国民との交流、パラスポーツの普及が転換のスイッチになると期待していたが、未だ収束の目処が立たないウィルスのせいで目論見は外れてしまった。ネットなどで沸き起こる性差別や誹謗中傷の数が減ることが、他者に対する寛容度および多様性社会への転換のバロメーターになるだろう。
さて、ここで問うてみたい。「あなたにとっての幸福とは何ですか?」と。
うーん、回答に窮する。私の幸福はコレですと断言できる自信がない。高度成長期は幸福の価値観が画一的でわかりやすかった。金持ちであること、昇進すること、有名であること、学歴があることなどである。現代の多様化社会における幸福の定義は個々人に委ねられている。みんな違くてみんないい、ってのが実は我々にとっては一番難しい。
多様化社会とは他人の物差しを認めた上で、自分の価値観に基づいて行動できる社会である。他人や社会の物差しは絶対基準ではない。自分を知るには他者との比較が必要だけど、違いを認めて、そこから離れなければならない。守破離である。そこまでいって初めて自分の価値観(アイデンティティと言ってもいいかもしれない)ができあがる。
他人と優劣を比較すると不幸が始まる。「人は人、自分は自分」と受容することが重要である。ガキの頃、親によくこの言葉を言われて腹が立ったな。それが正論だと解っていても、それが出来ない自分の無力さ未熟さを恥じていたのだろう。
他人に依拠しない、誰に犯されることもない、自分だけの幸福を大切にしたい。