臨床心理士は生物-心理-社会モデルに基づき、相談者についての情報収集を行い、心理療法を用いた介入で困難の改善を目指します。
最近の私は、企業で産業心理に携わることが多いのですが、やはり「生物」の部分、精神疾患やその症状についての知識が求められる場面が多いなと感じます。
産業心理の求人は「精神科や心療内科など病院心理での◯年以上の経験があること」という条項が散見されます。医師がいない場では、心理士は精神疾患の診断はできないものの、症状から見立て、適切な二次予防を施す動きが求められます。疾患に関する知識は、書籍や論文から得られる座学知のみならず、多くの患者さんとの関わりの中で育まれる経験知も必要です。
当書は、精神科医の内海先生と、大学教授であり心理士である津川先生による、対話スタイルの精神病理学専門書です。入門編なので最深部までは潜らないものの、重要点がしっかりと押さえられています。学術書ではないので、認められた言葉が生き生きとしており読み進めやすいです。
共感と了解、症状と診断、気分障害、統合失調症、発達障害、回復と治療機序、個別例への沈潜と、目次を見るだけでも基本線を外していないことがお分かりいただけるでしょう。
「心理カウンセリングのための精神病理学入門」内海健・津川律子著
症状の質感を確かに捉える臨床上の工夫。ひとつは、率直であること。向こうからこちらにやってくるものに対し自分を開いておく。もうひとつは、適切で洗練された言葉で表現すること。普段から言葉のセンスを磨いておく。
臨床家は、もしかしたらそういう世界もあるかもしれない、と考えてみることです。
より身体に近いところで鬱が起こっているのが内因性、より心に近いところで起こっているのが心因(ストレス因)性と考えてください。
統合失調症の軽症化の背景は社会性の変化、主体として自立=自律することへの圧が弱まったこと、発症後に患者を追い詰めていく力が緩和されたことなどが関与していると思います。
ADHDが過剰診断されやすい理由のひとつに、薬物療法の効果があります。見逃した場合、クライアントに薬物療法という選択肢を失わせてしまうことになるからです。
診断基準には長所が書かれていません。臨床家が自分でおぎなうものであり、腕の見せ所です。
セオリーと実際のプロセスのあいだにはズレが必ず含まれます。セオリーにしがみついている治療者はたいてい下手くそです。
