人生には苦しい局面が訪れる。自分の努力が足りないからでも、考え方が間違っているからでもない。ただ、そういう時期がある。

何がつらいのか分からない。説明するのが難しいが毎日が苦しい。心理士として相談室にいると、人が言葉や自信を失うのは、この局面にいる時だと感じる。

ある時、30代の会社員の方が来談された。仕事も家庭も大きな問題はなく、周囲から見れば順調に見える生活だった。それでも彼は、少し間を置いて、こう言った。

「しんどいです。それって、甘えなんですかね」

苦しいとき、人は自分の状態を正当化しようとする。二進も三進も行かない状況で踏ん張る人がいるなか、理由のない苦しさは存在してはいけないもののように感じてしまうからだ。だが、本当にそうなのだろうか。私は時に心理的な苦痛には明確な理由は必要ないと考えている。苦しいものは、苦しい。それだけで充分に扱われる価値がある。

彼は続けて言った。「立ち向かわなきゃいけないと思うんです。でも、もうなんか頑張れなくて」

私は彼に「立ち向かう」のイメージを聞いてみた。闘うこと、気合を入れ直すこと、どちらもそうではあるが、たとえば無理に元気を取り戻すではなく、解決しない状態の自分をしばらく許すことは含まれないだろうか。

人は統制不能な状況に置かれると、自分の努力で状況を変えようとする。原因を探し、意味づけをし、前向きな解釈を試みる。いや、それ自体は悪いことではないのだが、こころが消耗しきっている時には、その方向性は自分を追い詰めてしまうことになる。

心理士として言おう、苦しい局面では前向きにならなくていい。原因探しも、意味づけも、今すぐでなくていい。「このままではダメだ、なんとかしなきゃ」という声に、すぐに従わなくていい。

後日、彼はこう話してくれた。「根本解決したわけじゃないのだけど、苦しいままで居てもいいと思えたら、少し楽になりました」

楽になるために出来ること、それは状況を変えるだけではない。自分を責めるのをほんの少しやめられること、これもひとつの方向性なのだ。

苦しい時期は、何かを達成するでも、成長を証明するフェーズでもない。ただただ、生き延びる局面なのだ。日が上り、日が下りて、なんとか一日を終える。たとえ何も解決しなくとも、それだけで充分だ。

立ち向かうとは、過去や今の自分を否定しないまま、時間をやり過ごすことでもある。苦しさの渦中では見えないが、苦しみに向き合った人は、あとから静かに強くなる。その強さは、他人の苦しさに、少しだけ優しくなれる強さだ。今は今を生き延びよう。


cocoro no cacari|大塚紀廣

1976年千葉県生まれ。大学卒業後、第二新卒で(株)リクルートに入社、国内旅行情報じゃらんを担当した。その後同グループであった(株)ゆこゆこへ籍を移し、人事部で人材採用、社員研修の企画運営、ストレスチェック実行者等を担当した。40歳で退社し、臨床心理学大学院へ進学。修了後は東京大学医学部付属病院老年病科、都内のメンタルクリニック等で心理士業務に就き、現在に至る。専門は高齢者臨床と産業心理。趣味はロードバイク、サッカー、ジェフ千葉、漫画、温泉など。