『劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来』を観てきました。迫力と色彩の映像に圧倒される2時間35分でした。
心理学では、「返報性の原理」と呼ばれる人間の性質があります。ざっくり言えば、「何かをしてもらったら、何かをお返ししたくなる」という心の動きのこと。とても基本的で、でもとても大切な感情です。この感情は、生き延びるための本能とも言われています。誰かに親切にされ、それに応えることで信頼関係ができ、助け合える社会が保たれる。返報性の原理は「あたたかい世界を保つためのルール」ともいえます。
鬼滅の刃が一貫して描いているテーマって、これですよね。
主人公の竈門炭治郎は、鬼に家族を殺され、大切な妹も鬼になってしまうという過酷な運命を背負います。それでも彼は、誰よりも人に優しく、仇である鬼にさえも慈悲のまなざしを向けることがあります。
彼は常に誰かにしてもらった優しさを忘れません。たとえば、冨岡義勇に命を救われたこと。育手の鱗滝に信じてもらったこと。禰豆子を守るために多くの人が力を貸してくれたこと。そうした恩を、炭治郎は「お返ししよう」と考えるよりも先に、「自分も誰かを助けたい」という行動で表現しています。自分が受け取った優しさを、また別の誰かに渡していく。こうした“恩送り”もまた、返報性のひとつの在り方です。
臨床心理士として日々、人のこころに触れていると、こうした感情は決してフィクションの中だけのものではないと感じます。たとえば、過去に支援を受けた経験のある方が、数年後に「今度は自分が、同じように困っている人を支えたい」と言うことがあります。あるいは、自分がつらいときにかけてもらった言葉を、今度は別の誰かに届けていく人もいます。
「受け取ったから、返したくなる」
それは、お礼という形式にとどまらず、誰かのために生きたいと思う気持ちにまで広がる。なんてあたたかい心理なんだろうと思います。
何度観ても感動する煉獄さんの「心を燃やせ」「俺は俺の責務を全うする」という言葉には、父から受けた誇り、母から託された使命が込められていました。それはまさに、過去への返礼であり、未来への贈り物でもあります。
猗窩座は父を妻を守るために強くなりたかった。それがでできなかった自分の不甲斐なさに打ち勝てずに鬼に堕ちてしまった。獪岳もそう、自分のこころに勝てなかった。童磨には生まれてから消滅するまで誰一人として彼を理解しようとしてくれる人がいなかった。彼らには「肩を抱いてくれる仲間の存在」がなかったのが不幸でした。
返報性の原理とは言い換えれば「人のぬくもりを、誰かにつなげていくための、こころのリレー」です。
私たちは誰かから受け取った優しさを、言葉や行動という形で少しずつ返していくことができます。繋いでいく、それが人類に賭された使命です。自分は誰かの思いを自然に引き継ぎながら今を生きていて、たとえ命がついえたとしても、この先また誰かがバトンを受け取ってくれる。そんな一連托生な世界の中に生きているんだと思うと、胸の奥が、ほんのりとあたたかくなりませんか。