「あなたはなぜ、心理学をやっているのですか?」
この質問を受ける度に、私はいつも少しだけ戸惑ってしまう。「好きだから、飽きないから」が解答なのだけど、ではなぜ好きで飽きないのかは、自分でも正確に把握できていない感じがしている。
私が心理学に興味を持ったのは高校2年時。きっかけはアイデンティティの闇。自分は何者で、何のために生まれてきたのかという若きウェイテルの悩みだ。何かのきっかけでそれが思春期特有のアイデンティティ課題だと知り、私だけではなく多くの人が沼るものだとわかり、こころの重荷が軽くなった。テレビ番組で流行した深層心理ゲームも面白かった。
「人のこころとは何なのか」。私の中のわからないものをわかりたい欲求は、大学生時代に、結果的に人を傷つけるような半ば実験のような言動で満たされていった。ひどいことをしたと猛省している一方で、未熟な私にはそれでしか成立させられなかったという諦めも持ち合わせている。この十字架は私が一生背負っていくものである。
青年期を会社員として過ごし、44歳から臨床心理士として現場に立つようになった。人はそれぞれに異なる人生を生きている。2つとして同じものはない。臨床場面では「わかろうとすること」と「わかりすぎないこと」の間に立つ難しさがある。そして根本的には「わからない」があり、その矛盾や混沌に面白みを感じてしまう。
人は、誰かにわかってほしいと願いながら、時に自分のことすらうまく説明ができない。言葉にできない痛みや違和感。そうした細微なものに、そっと触れていく優しさと技法。心理学は人生の歩を再び進める力を持っている。
心理学という学問は、科学でありつつも、人の生き方やあり方と深く結びついている。データやエビデンスを大切にしながらも、その一方でこの人にとってはどうなのかという個別性を問う姿勢を忘れない。それはとても丁寧で、時間のかかる営みかもしれないが、その遅さこそが人を尊重するということなのだと思う。学生時代は一貫して国語が好きだった。作者の意図がよくわかったし、答えが画一してないことがその理由だった。心理学はこの構図に似ているのだと思う。
いま、改めて「なぜ心理学をやっているのか」と問われれば、こう答えるかもしれない。「その人がその人であることの意味を、私も一緒になって考えたいからです」と。
心理学は、私にとって仕事であり、生き方そのものになりつつある。明確な答えがあるわけではない。けれど、その曖昧さを引き受けながら、それでも人と出会い続けること。それが、私と心理学との関係なのだと思う。