まず、タイトルにやられた。「教科書には書いておらず、大学院でも教えてもらえない、現場で学ぶしかない ありふれた臨床テクニック集」これはすごい。専深化を志す学会界隈への挑発であり、表に出たら叩かれそうな真理に光をあてた勇気ある告発である。
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理論や技法は武器である。戦うために武器はあったほうがいい。使いこなすための鍛錬が必要なことは言わずもがなである。戦場では臨機応変が求められる。相手の特性や状況によって戦術や武器の使い方を変化させる。勝つために武器の使い方を工夫する。ひとつの武器を変化させる方向性と、複数の武器を使い分ける方向性がある。武器を捨てることもあるだろう。勝利が目的であり、武器を使用することが目的ではないからだ。
現代人が抱える心理的困難は、煮詰めれば古来からある普遍性を帯びたものが多いものの、表膜は膨大な情報の絡みで覆われて、初見から露呈していることが少ない。私は未熟なので、ひとつの学派や理論に囚われるとその核に達するまでに相当な時間がかかってしまう。Time is money.情報社会において時間は価値である。なるべく即効で速攻な福利を提供するためには、生物-心理-社会モデルに基づく(特に多様性社会を意識した)アセスメント力と、多角的に切り込むための複数の技法が必要だと考える。
複数の武器を持つ構えは折衷式心理療法ということになるが、私はこの表現が好きじゃない。折衷といわれると、落とし所で折半する、妥協するようなイメージが湧く。まだマルチモーダル療法と言われたほうがいい。ちなみにラザルスが提唱したマルチモーダル療法は、クライエントの問題を一つの視点や技法だけでなく、複数の側面から総合的にアプローチし、セラピストは一つの流派や技法にこだわらず、必要に応じて様々な方法を組み合わせる療法である。
マルチモーダル派の臨床家、ひとつの心理療法を極めた臨床家、どちらも現代に必要な存在である。私は前者寄りの嗜好性を持つが、どちらの立場でもクライエントの役に立てることを知っている。クライエント自身が選択できる土壌をつくりたいし、臨床の状態や段階に応じて臨床家同士がバトンタッチできる関係性をつくれれば、それがクライエントの最大複利になる。
残念なことに、マルチモーダル派の臨床家は低く見積もられるきらいがある。過激に言えば、型無しの専門家と非難される。エビデンスに乏しくても、クライエントの複利に通じるならそれをやるのが心理臨床の良さのひとつではなかったろうか。権威主義に毒されて高尚なものにし過ぎていないだろうか。武器を磨き鍛錬し戦場で功績をあげる者を、もっと無条件の肯定的配慮してもいいだろうと思う。
本著は、老賢者や中堅者がそれぞれの視点で、教科書には書いておらず、大学院でも教えてもらえない、現場で学ぶしかない臨床テクニックを、純粋性をもって公開してくれた意欲作である。みなさん、自分が持っている武器を変用したり、捨てたり、違うものを組み合わせたりして、創意工夫しながら水物の臨床にあたっているのだと、勇気をもらえた。文章から滲み出る恥じらいや困惑などの感情も共感的理解できた。みんなで書いた集合体なので、読み応えがあるのがいいし、個人攻撃される危険度が低まるのもいい。時に数は正義なのである。