先日、高3の息子氏が「たぶん小学生の時に連れて行ってもらったピザ屋ってどこ?美味かった記憶あって。今度彼女と行きたいんだけど」と質問してきた。8年前のことを覚えている驚きと、それを提供した私の大学時代の友人の料理の凄みを知った。

日常の出来事は次々と忘れていくのに、記憶に留まる出来事がある。その代表的な要素は、感情、意味、新しさ、五感であり、これらが重なる体験ほど長期記憶に残りやすいと言われる。

感情を伴う出来事

強い感情(喜び・驚き・恐怖・悲しみなど)が伴うと、記憶が強化されやすい。これは扁桃体(感情処理を担う脳部位)が働き、記憶を司る海馬に「これは重要だ」と信号を送るから。

自分にとって意味がある出来事

自分の価値観や人生に関連が深いことは、単なる情報よりも記憶に残る。自分が努力して初めて成功した経験や、大切な人と過ごした時間など。

新奇性(めずらしさ)がある出来事

日常と違う、特別で珍しい体験は、脳が「これは覚えておくべきだ」と判断しやすい。初めての旅行先での出来事や、予想外のハプニングなど。

五感を伴う体験

味覚・嗅覚・聴覚など、複数の感覚が同時に関わると記憶が強固になる。「においで昔の記憶がよみがえる(プルースト効果)」が典型例。

反復や再生がある出来事

何度も思い出したり、人に話したりすることで記憶は強化される。感情を込めて語った思い出は、年月を経ても鮮やかに残ることが多い。

感情を伴った記憶は長期に残りやすい。試験勉強で暗記した英単語は数日で抜け落ちるのに、嬉しさや悲しさ、驚きといった感情とセットになった出来事は、何年経ってもふと蘇る。だからこそ一皿の料理が記憶に残り続けることがあるわけだ。

料理人とは、単に空腹を満たす存在ではなく、人の人生の一場面を鮮やかに彩る仕事人なのだとあらためて感じた。心を動かす体験を提供するという点では、心理士と同業種なのだと。

私が心理士として向き合っている仕事も、人生の記憶の一部に刻まれていく可能性がある。相談者にとって私との時間が「困難を和らげた経験」として残るのか、それとも「苦しい記憶」のまま残ってしまうのか。その重みを思うと、背筋が伸びる。

もちろん、私にできることは限られている。すべての困難を取り除くことはできない。それでも、その人の生きやすさに繋がるよう、心の荷物を一緒に整理したり、困難に向き合う力を取り戻したりする手助けはできる。時にはほんの小さな気づきや安心感が、永く残る支えとなることがある。

人の人生を左右する仕事。それは恐れ多くもあり、同時にこの上なく誇らしい。いつか誰かが、「あの時の言葉が今も支えになっている」と思い出してくれることがあるなら、それは何よりの喜び。心に残る何かをつくる仕事人でありたいと、私は願い続けている。


cocoro no cacari|大塚紀廣

1976年千葉県生まれ。大学卒業後、第二新卒で(株)リクルートに入社、国内旅行情報じゃらんを担当した。その後同グループであった(株)ゆこゆこへ籍を移し、人事部で人材採用、社員研修の企画運営、ストレスチェック実行者等を担当した。40歳で退社し、臨床心理学大学院へ進学。修了後は東京大学医学部付属病院老年病科、都内のメンタルクリニック等で心理士業務に就き、現在に至る。専門は高齢者臨床と産業心理。趣味はロードバイク、サッカー、ジェフ千葉、漫画、温泉など。