臨床現場で、認知症を抱える方の「怒り」に触れる機会は少なくありません。認知症の症状のひとつとして、易怒性(ちょっとしたことで怒りやすくなること)はよく知られています。記憶や見当識の低下に加え、理解や判断のスピードが落ちてしまうために、相手の言葉や状況を誤解してしまい、そこに「侮辱された」「馬鹿にされた」といった思い込みが重なると、強い怒りの反応が出やすくなるのです。
ある高齢男性の認知機能検査を担当した時のことです。課題のひとつに対して「なんでそんなことを聞くんだ!」と大きな声で怒り出されました。突然の出来事ではありましたが、不思議と私は怖さは感じませんでした。その瞬間に、「これは私個人への攻撃ではなく、病気によって引き起こされている反応なのだ」と理解できたからです。怒りの矛先は確かに私に向けられていました。しかしそれは、私の過失や人間性に向けられているものではなく、認知症という病の影響による表出なのだと受け止められたのです。
数ヶ月後、再びその方に同じ検査を実施しました。今度は検査中に怒りが出ることはありませんでした。穏やかに、最後まで検査を終えることができたのです。私は「その日の体調や気分、関わり方のちょっとした違いが大きく作用するのだな」と実感しました。
さらに数ヶ月が経ち、三度目の検査の時がやってきました。検査室に入る前の雑談の場面で、その方はやや不機嫌で、「なんでこんなことをまたやるんだ」と怒りをにじませていました。以前の経験から、「このまま検査に入れば途中で中断されてしまうかもしれない」と感じた私は、すぐに検査を始めず、まずはその方の話に耳を傾けることにしました。いつしか話題は不満から楽しかった過去の栄光に移り、すると次第に表情が柔らかくなり、会話にリズムが出てきました。その流れに合わせて「では、ちょっとやってみましょうか」と検査を提案すると、すんなりと応じてくれました。
この経験を通じて私が強く感じたのは、「知識と技術、そして経験」が心理士の仕事を支えてくれるということです。もし初回の検査で「自分が責められている」と受け止めていたら、恐怖や不安から関わりがぎこちなくなり、相手の怒りをさらに刺激してしまったかもしれません。心理学的な理解があるからこそ、怒りの背後にある病気の影響を冷静に見極められました。そして、二度三度と関わりを重ねる中で、「いきなり検査に入るのではなく、まずはその人の気持ちを受け止め、安心してもらう」ことの大切さを体感的に学ぶことができたのです。
認知症の方に限らず、人が「怒り」を表す背景にはさまざまな要因があります。身体の不調、環境の変化、相手への誤解や不安…。臨床心理士に求められるのは、表面的な怒りにとらわれるのではなく、その背後にあるこころの動きを丁寧に理解しようとする姿勢です。そのためには心理学的な知識はもちろん、技術としての傾聴や非言語的コミュニケーション、そして実際に関わってきた経験の積み重ねが欠かせません。
認知症の易怒性に出会ったとき、心理士は恐れる必要はありません。もちろん、暴力や大声といった場面では安全の確保が最優先になります。しかし「これは私が悪いのではなく、病気の症状の一部である」と理解できれば、怒りを正面から受け止めるのではなく、受け流すように対応することができます。そこから初めて、本人に安心を届ける関わり方を模索できるのです。
心理士としてのキャリアを支えるのは、一つひとつの現場での試行錯誤です。「うまくいった」「うまくいかなかった」という経験の積み重ねが、次の関わりに生きていきます。認知症と向き合う仕事は決して簡単ではありませんが、だからこそ「知識と技術と経験」が有機的につながり、私を前へと導いてくれるのだと感じています。