誰もが失敗したくないと願う。

失敗するよりは成功した方がいいと思う。成功するために人は努力するわけで、失敗するために努力する人はまずいない。ここでふと気がつく。成功のための努力とはすなわち失敗のことなのではないか。成功するために何度も試み、その度に失敗し「こうやるとできないんだな、じゃあ次はこうやってみよう」を繰り返して成功に辿り着く。失敗の連続の先に成功が待っているのだ。

ドリカムは1万回ダメでも1万1回目は来ると唄う。失敗で止めてしまえばそれは失敗で終わる。しかし、もう1回試して成功したのなら、その失敗は成功の元となり、失敗として記憶されない。要は認知方略である。失敗と思えば失敗だし、失敗と思わなければ、それは失敗ではないのだ。

失敗体験の消化の仕方のひとつに「失敗した…にもかかわらず、私は…はできる」と、成功体験を同等に並べて認知するやり方がある。「にもかかわらず」は自尊心を健全に育む魔法の接続詞だ。2年前に知ってから、私自身も何度もこの言葉に救われている。

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もうひとつは失敗を教訓にすり替えてしまうこと。失敗を「これはダメなんだ、タメになったなあ」という学びに転換してしまうのだ。

私の #あの失敗があったから は何だろう。失敗から学んだことは多い。例えば、高校入試が終わってから入学式まで一切勉強しなかったこと。高校の授業に一気に置いて行かれた。ゴールなのかスタートなのかを意識すること。継続は力なりを知った。

好きだった女の子と付き合えることになったのに、怖くなって逃げ出したこと。精神年齢があまりにも幼すぎた。人生において巡ってくるチャンスは数回だ。準備が整っていないと掴み損ねる。

仕事では、会社員時代に下降トレンドのエリアを任されたリーダー職。マーケットも取り戻せなかったし、チーム運営もうまくできなかった。メンバーひとりひとりの実現したい目標の達成を一緒に手伝う。自分が実現したい世界観(チームや地域の全体指針)を定めて伝えること。自分が信じないで一体誰が信じてくれるのか。そういうことを学んだ。今でも教訓として胸に刻まれている。

私は色々な失敗をしてきた、にもかかわらず、私は今こうして心理屋として生きていられている。私はなんとかして生きていくことが人生における最重要事項であると信じているので、そう思えば今の自分は成功しかない。当然、失敗して落ち込むことはある。その度に「にもかかわらず思考」や「教訓へのすり替え」を駆使して切り替えようとしている。

書籍「多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ。」のタイトルが秀逸だと思っている。あの人は私のこと○○と思っているに違いないと気にしている人にかけた言葉なのだが、そうなのだ、そういうことなのだ。失敗の話に置き換えても、失敗側から見れば、勝手にあなたが失敗だと認知しているだけで、そんなの大したことではないはずなのだ。失敗に囚われ続けないことが大切なのである。

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cocoro no cacari|大塚紀廣

1976年千葉県生まれ。大学卒業後、第二新卒で(株)リクルートに入社、国内旅行情報じゃらんを担当した。その後同グループであった(株)ゆこゆこへ籍を移し、人事部で人材採用、社員研修の企画運営、ストレスチェック実行者等を担当した。40歳で退社し、臨床心理学大学院へ進学。修了後は東京大学医学部付属病院老年病科、都内のメンタルクリニック等で心理士業務に就き、現在に至る。専門は高齢者臨床と産業心理。趣味はロードバイク、サッカー、ジェフ千葉、漫画、温泉など。