國分先生からみたカウンセリングの守破離が記されています。金言の宝庫です。理論や原則を出発点とし、歩みながら加減していくことの大切さを感じました。社会の有り様によって変化させていく部分と変えぬ本質を見分ける眼を持ちたいと、強く強く願うのでした。
「カウンセリングの技法」國分康孝著
人間が人間を治す変えるというのは高慢である、という立場だけではプロフェッショナルな心理面接はできない。
カウンセリングは行動の変容を目指すものである。行動の変容とは、反応の仕方に多様性がでてくることである。カウンセリングの価値観は、自分が意識性と責任性をもって自己決定することにある。
カウンセラーは自分の価値観に固執せず、かといってそれを失わずにクライエントの世界を漂うのだ。
まず主訴である。面接は契約である。来談者が提起した問題をカウンセラーがとりあげるに値すると判断し、その問題解決に共同で努力しようという合意に達したところから面接が始まる。
大雑把な方針を立てる際には、情緒的な問題なのか、現実的な問題なのかを考える。洞察を主にする方がいいか、現実的に何かアクションを起こさせる方がよいか。
簡単な問題は指示的でもよいが、感情が複雑化しているときは傾聴がよいと思う。自我が弱い人にはとりあえず支持的面接をして、やがて現実検討をすすめるのがよい。
すべての面接は「短編読切り」の連続ではなく、「大河小説」または「長編小説」の一部であらねばならぬ。過去とのつながりにおいて今日の面接を考える。出たとこ勝負の面接ではよくない。
カウンセリングの終結段階では教育的色彩(現実生活への導入)が強くなる。クライエントとの関係がヨコになってくる。対等な者同士のつきあいになってくる。この段階ではカウンセラーは社交会話のように振る舞えばよい。
面接の終結条件をひとことで言えば、来談者がひとり立ちできることである。すなわち、これからの人生で次々と出会うであろう問題を独学で受けとめ、解決していく能力がついたと思えば終結ということになる。
部下の話が終わらないうちに「わかった!」という上長がいる。これは自分の体験に基づく推論ができたということに過ぎない。この態度が一番カウンセリングマインドから外れている。せめて「君の言いたいことは……ということだろうか」と確認する習慣をつけたい。
画家は個展を開く。自分の作品を人に見てもらおうとする。同じようにカウンセラーも自分の作品(面接)をオープンにする勇気がなくてはならない。
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