社会人になって1〜2年の間に適応障害を患う人は少なくない。例に漏れず私もそうだった(と思う。病院に罹らなかったので診断されてはいないが)。陥る原因の大きなひとつは「目標」なのではないだろうか。

学生時代の勉強と社会人の仕事を対照にして考えてみると、学生時代は目標が自分の外側で決まっていた。テストの点数や、入試がそうだ。その目標を達成するために、勉強という手段があるのだが、その勉強にも枠が用意されている。教科書やテスト範囲がそれだ。目標や枠がすべて用意されており、そのレールに乗って頑張っていれば、結果が近づいてくる仕組みになっていた。

社会人になると、いつも用意されていた「目標」がなくなる。いや、営業ノルマや社会貢献など、あるはあるのだが、学生時代のような絶対的な目標ではなくなってしまう。自分の意思で設定しなければいけなくなるのだ。このことに気が付かぬまま、あるいは目標設定できないまま手段である仕事を頑張っていると、精神的に疲弊してくる。

さて、私は長距離走が嫌いだ。しかし好きなサッカーを楽しくやるには走力・体力が必要不可欠で、そのために半ば仕方なくジョギングをしている。私が2社目で頑張れたのは、妻と子どもを食わすという強固な目標ができたからだ。『夜と霧』の中でフランクルは「なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える」と述べている。そう、目標があるから、手段を頑張れるのだ。

研修時期や1年目はまだいい。社会人マナーや業務マニュアルを覚え、現場に出て経験値を積むことで、成長を感じられるだろう。下地ができると徐々に、俺は何の為にこんなに頑張っているか、という想いが沸き起こってくるはずである。

仕事量は待ってくれない。仕事を覚えて場慣れしてきたら、次から次へと業務は増えていく。肉体疲労は寝て食べれば回復するが、それは精神が安定していることが条件であるように思う。目標が定まらないまま走り続けるには限度がある。

自分で設定する「目標」ほど難しいものはない。すぐに出せるものでもないかもしれない。しかし「そういうものだよ」とか「一緒に考えていこうよ」と傍で言ってくれる人が居れば、立っていられると思う。メンタルクリニックで又は関わる組織の中で、カウンセラーとして私はそうした存在でありたいと願っている。


cocoro no cacari|大塚紀廣

1976年千葉県生まれ。大学卒業後、第二新卒で(株)リクルートに入社、国内旅行情報じゃらんを担当した。その後同グループであった(株)ゆこゆこへ籍を移し、人事部で人材採用、社員研修の企画運営、ストレスチェック実行者等を担当した。40歳で退社し、臨床心理学大学院へ進学。修了後は東京大学医学部付属病院老年病科、都内のメンタルクリニック等で心理士業務に就き、現在に至る。専門は高齢者臨床と産業心理。趣味はロードバイク、サッカー、ジェフ千葉、漫画、温泉など。