心理カウンセラーとして世に立ち、早3年が経とうとしている。これまでにおそらく400名ほど担当させてもらった。心理カウンセリングとはなんなのか。やればやるだけ明瞭になる部分と混沌とする部分があり、やはりなんとも得体が知れない。カウンセリングの場で私は何を提供できているのか、改めて考えてみた。

カタルシス効果

クライエントは自分の物語をカウンセラーが受容してくれた時に、カタルシスを感じる。カタルシスとは「浄化」や「排泄」を意味する言葉である。カタルシス効果とは、心の中にたまっていた言葉にならないもやもやした感情を吐き出し解放させることで、気分がすっきりし、不安や緊張などの症状がなくなることをいう。自分でも気づいていなかった感情、または言いたくても言えなかった感情を言語化することで、心のおりが浄化されて精神的な緊張がほぐれるのである。

新たな気づき

カウンセラーはコンサルタントでも解決屋でもない。ただ、臨床心理学に基づいた新たな視点や気づきは共有できるかもしれない。

例えば、フロイトやユングによる精神分析的な解釈は現代でも通用する。認知行動療法は理論が伝わる人にはとても有効だ。森田療法は右脳優位な方にハマりやすいと思う。マインドフルネス、ACT、NLPなど、近年に派生した新しい理論や技術も試されたい。こうした手法はクライエントひとりだけでは実施しにくいはずで、ここにカウンセラーの介在価値がある。

『カウンセリングの技法』の中で國分は、「カウンセリングの価値観は、クライエントが意識性と責任性をもって自己決定することにある」と述べている。自己決定のいち支援としては、期待してもらっていい。

例えば側に居るだけで

米米クラブの歌詞のようだが笑、人は困難に晒され逃れられないとき、精神的に不安定になる。相談したくても何でも安心して話せる場所や人は意外と少ないことに気がつく。守秘義務で枠づけられ、共感的理解/自己一致/無条件の肯定的配慮の態度で対峙してくれるカウンセラーがいる、それだけで幾分かは心強くなれる。

万能ではない

物事には可能性があると同時に、限界がある。そのことを深く自戒しなくてはいけない。大学院での教授の言葉「心理学を学ぶと全て心理学で説明できる感覚になるけど、それは傲慢だよ」が私の胸に碇のごとく鎮座している。カウンセリングは人同士で行うため相性というものもある。そうした前提の中で互いに協力体制を敷き、共に精一杯に課題に取り組む姿勢が、何かしらの変化と力動を生むのだと思う。

「話したところで何も解決しない」と頭ごなしに一蹴するにはあまりにも惜しい。ものは試しだ。一歩踏み出し、新しい価値が生まれる瞬間を実感してほしいと願っている。


cocoro no cacari|大塚紀廣

1976年千葉県生まれ。大学卒業後、第二新卒で(株)リクルートに入社、国内旅行情報じゃらんを担当した。その後同グループであった(株)ゆこゆこへ籍を移し、人事部で人材採用、社員研修の企画運営、ストレスチェック実行者等を担当した。40歳で退社し、臨床心理学大学院へ進学。修了後は東京大学医学部付属病院老年病科、都内のメンタルクリニック等で心理士業務に就き、現在に至る。専門は高齢者臨床と産業心理。趣味はロードバイク、サッカー、ジェフ千葉、漫画、温泉など。