防衛機制とは、不快な感情から自我を守る様々な手段のことをいう。フロイトが提唱し、娘のアンナ・フロイトが体系化した概念である。
最も基本的な防衛機制は「抑圧」である。人は不快な衝動や体験が「意識」されないように、それを「無意識」に閉じ込めるのだ。抑圧をはじめとする防衛機制は、常習的に行われると、病的な症状・性格特性・人格構造となり、様々な不適応症状として現れてくる。
フロイトの理論にはロマンがある。嫌いじゃないし、むしろ好きだ。
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人は不明確・不確定なことに対して収まりの悪さを感じる生き物である。体調が悪い時、いくつかの病院を周ってなお原因不明であれば、より一層不安が募る。大病だったとしても病名がついて原因がはっきりした方が安心できたりする。すべての心的事象を防衛機制で片付けることはできないが、知識として備えておくと、自分がとった言動の論拠になり得る。「あの時私はなんであんなことを言ってしまったのだろう」防衛機制はそれを振り返る一助になる。
代表的な防衛機制を列挙してみる。
この中で私が好きな防衛機制がいくつかある。
投影
自分の受け入れ難い感情・考えを、他者が自分に向けてきた感情・考えだと捉えること。
例)自分の後ろめたい気持ちを、「みんながジロジロと見ている」と思う
読唇術的推論を使って、相手に押し付ける感じ。私があの人を嫌いなのではなく、あの人が私を嫌っている、となる。人を嫌いになることはつまり自分の器量の小ささの表れだと恥ずかしさを感じる人は、自分に嫌いな人がいる事実は認めたくない。「投影」で自分のこころを守るのだ。
反動形成
抑圧した欲望や想いが言動として現れるのを防ぐために、正反対の言動をとること。
例)たばこを吸いたい人が、禁煙のメリットを過剰に表明する
実体験であるが、過去に、嫌いな人に対して過剰に丁寧な言葉使いをしている自分に気がついたことがあった。これが反動形成か…と実感した瞬間だった。嫌いであれば感情が言葉に乗り、そっけなく乱暴な言い方になってもおかしくない。嫌いな相手とのトラブルはなるべく避けたい、これ以上に不快な気持ちになりたくないがゆえの、回避行動でもある。
合理化
自分の行動を、自分に都合のいい理屈で正当化すること。
例)高くて取れない場所にあるブドウを、「あんなブドウ、どうせ酸っぱくて食べられない」と思う(イソップ童話「すっぱいブドウ」)
いうなれば自分を正当化する言い訳である。正当化できない自分の言動は、さらに我が身を苦しめることになり得る。ああ今「合理化」しているな、と自覚しながら、まあこれでこころが守られるならいいか、と思えれば、どんどん使えばいい。
昇華
社会的に容認されない欲望を、社会的に容認される形で表出すること。
例)性的な欲望を、スポーツで発散させる
高校時代に初めて「昇華」を知った時、自分がなぜサッカーをしているのか、その理由を言い表された感じがした。アイデンティティ課題が解決しない鬱蒼感や破壊衝動を、サッカーで発散しているんだな、と。もちろんそれだけの理由でサッカーをしていたわけではないが、そういう一面もあったのだろう。
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目に見えないこころの機能を構造化した防衛機制は面白い。あるある話としての例は枚挙にいとまがない。健康的に防衛機制を使って、こころを守っていきたい。