心理カウンセリングの失敗から何を学ぶか|ココカリ心理学コラム

ココカリ心理学コラム

岩壁茂著「心理療法・失敗例の臨床研究 [改訂増補] その予防と治療関係の立て直し方」は名書であった。心理カウンセリングの失敗について、こんなにも学術的に論じれるものなのか。私が実践してきた臨床を重ねて読むことで、疑似体験ではあるものの、スーパーヴィジョンを受けた読了感であった。

何をもって失敗とするか。私は「クライエントの困難を悪化させ、それを閉じれなかった時」が失敗だと考える。一時的な悪化はよくあるが緩和に向かう必要性があれば失敗ではないし、溢れてパニック状態になっても収めることができればそれは失敗ではない。閉じれないのがヤバい。外科医はメスで病巣を切って糸で縫合するが、心理士は言葉と心理療法でそれを行う。切れないならまだしも、縫合できない心理士は危険だ。

大学院に併設する心理相談室で、教授の指導を受けながらセラピストとして立った経験がとても大きかった。実際に行った心理カウンセリングは当然失敗には至らなかったものの、失敗とは何か、失敗させないためにどのような技を習得し磨いておかねばならないのかを考えさせられた。成功させるために行うのだが、失敗させないという考え方も、持っておく必要がある。

さて、本の中で印象に残った2つのパラグラフと所感を記しておきたい。

転移・逆転移では狭義

心理療法中のセラピストのクライエントに対する反応は、逆転移という見出しの中で扱われてきた。しかしこの概念では狭すぎる。どんなセラピストでも(実にどんな人間でも)、中程度から重度の問題を抱えたクライエントがもつ抑圧・抑制された憤怒に対して、よくない反応をする事に対する免疫をもたない(=よくない反応をしてしまうものだ)

「心理療法・失敗例の臨床研究」岩壁茂著

セラピスト同士でケース検討を行うと「転移」「逆転移」のワードが多発される。何でもこの見出しで語るなかれという戒めである。セラピストはセラピストである前に、人間である。心理カウンセリングで生じる力動から影響を受けるのは自然であり、逆に無反応であればセラピスト失格であろう。

引っ張られない工夫

セラピストの職業的能力を高めるには、自己の内面に起こっていることに注意を向け、それを理解する自己モニタリングにある。また、私生活と仕事のバランスを取り、常に個人としての充実感を追求することである。

「心理療法・失敗例の臨床研究」岩壁茂著

セラピストなど対人支援を行う感情労働者にとって、仕事を私生活に侵食させない工夫はあってしかるべきだろう。私の場合は、カウンセリングルームと外界は別次元であると考えることにしている。複雑性トラウマのような深く重い荷物を抱えるクライエントにも「この話題はこの部屋に置いていってください。しおりを挟んで閉じておきましょう。次回カウンセリングの際に、また開いて、今日の続きをしましょう」と言ったりする。私生活を守るには、意識して線を引く必要がある。



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