私の心理カウンセリングでは、認知療法を第一技法として採用している。理由は、現代社会と認知変容の相性の良さ、訓練によって生きやすさを獲得できる点にある。臨床現場で感じる認知療法の対象限界は、発達障害とトラウマ体験である。発達障害には行動療法、トラウマには眼球運動で対応している。特にトラウマ、こいつが厄介である。

トラウマとは心的外傷、つまり心の傷である。その人の生命や存在に強い衝撃をもたらす事象を外傷性ストレッサーと呼び、その体験をトラウマ体験と呼ぶ。トラウマは単なるストレスとは意味が異なり、過去に起こったストレスフルな事象が、後の人生に様々な影響を及ぼしているような意味で使われる。(上毛病院

トラウマはPTSD(心的外傷後ストレス障害)に至るものから、再体験フラッシュバック等の症状を伴わないものまで幅広くある。症状如何に問わず、トラウマは抱える人にとって、とても重い。こころの深部に鎮座しへばりついている。

認知療法を行うとき、まったくと言っていいほど認知変容が進まない人がいる。ラポールが形成され、詳しく話を伺っていくと、こういう人はトラウマを抱えていたりする。認知療法で扱う自動思考はスキーマの枝葉。スキーマそれ単体でもがっしりしているものなのに、その横、もしくは奥底にトラウマがあったのでは、認知療法の軽さでは確かに歯が立たない。

このような時は、インフォームド・コンセントを行い、合意と協力体制を築いたうえで、眼球運動(私はボディ・コネクト・セラピー(以下BCT)を使っている)によるトラウマ処理を行なっている。

クライエントに与える効果は「概ねある」と言っていい。劇的にトラウマ処理が完了する方もいれば、ぼんやり程度の方もいる。BCT後に感想を尋ねると「髪をぐっと引っ張られているような感じがした」「ボディスキャンするごとに何かが変化していくのを実感できた」「施術後1週間は胸のあたりがザワザワしていた」など、必ず何かしらの刺激反応を口にされる。やはり効くのだな、と実感している。

実施する際に気をついているのは、タイミングである。トラウマを処理する意思、受け皿としての自我の強度、フィジカルな意味での体力などが揃っていなければ、時期を見合わせる。たかが眼球運動ではあるが、こころに与える刺激は想像を超えるところがある。

心理カウンセリングはクライエントの最大福利を目指すもの。症状が緩和し、それが生きづらさ緩和につながれば最高であるが、最悪なのは心理療法等によって症状を悪化させ、生きづらさを増進させてしまうことである。リスクを取らねば前進できない、一方でそのタイミングはあって然るべきであろう。この見立てが専門家としての成熟度であり、腕のみせどころだと考えている。




cocoro no cacari|大塚紀廣

1976年千葉県生まれ。大学卒業後、第二新卒で(株)リクルートに入社、国内旅行情報じゃらんを担当した。その後同グループであった(株)ゆこゆこへ籍を移し、人事部で人材採用、社員研修の企画運営、ストレスチェック実行者等を担当した。40歳で退社し、臨床心理学大学院へ進学。修了後は東京大学医学部付属病院老年病科、都内のメンタルクリニック等で心理士業務に就き、現在に至る。専門は高齢者臨床と産業心理。趣味はロードバイク、サッカー、ジェフ千葉、漫画、温泉など。

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