誰かに救ってほしいという夢、自分は永久に救われないという悪夢からも、覚めましょう。
医龍(21巻)
弱さを受け入れ前へ進もうとする研修医・伊集院が、天賦の才を持ちつつも過去の過ちから立ち直れない麻酔科医・荒瀬に対して、投げかけた言葉です。これを読んだとき、愛着障害によって他者との関係構築や自他の距離感に悩む方々の心理を想起しました。
愛着とは、心理学者ボウルビィによって提唱された、養育者(主に母親)と乳児とのあいだに成立する、情緒的な結びつきです。形成順序は以下の通りです。乳児が泣くと養育者が応答する。この反応により、自分の行動によって環境を変化させられる有能感が生まれ、他者は信頼できるというスキーマが芽吹くのです。
愛着障害とは、主に幼児期から幼少期に形成される愛着の発達に障害が生じる状態を指します。乳児期に、泣いてもおっぱいがもらえない状況が続くと、愛情飢餓の状態になります。愛着形成の危機です。
ここからは私の主観も入ってきますが、愛着をベースにした「自分・他者・世界は信頼するに値する」というスキーマは、臨界期つまり形成のタイムリミットがあります。基本的信頼感に似たオリジナルな愛着形成は、乳児期を逃すとその後に備えることは不可能となります。
では、その時期に愛着形成ができなかった人は、もれなく愛着障害になるかといえばそうではありません。その後の経験によって、深層心理ではわからなくても、理論的に体験的に、他者との関係構築や自他の距離感を獲得することはできます。その際に必要な考え方が、冒頭の言葉ではないでしょうか。
大人になってから原始的な愛着を手に入れることは不可能です。あきらめるしかありません。では、一生苦しむのかと言えばそうではありません。経験から絆や結びつきを携えていくことは可能です。夢も悪夢も見ずに、現実を見ましょう。この作業、ひとりでは厳しければ、心理士が支援します。かなりハードな受容となりますが、生きづらさ緩和のために、我々は共に歩んでいきますよ。
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